突然ですが、わたしは映画が大好きです。
お正月明けて最初に見に行った映画はこちら。
『GOGO 94歳の小学生』
ケニアに住む助産師のおばあさんゴゴが、90歳の時にひ孫と共に小学校に入学し、生まれて初めて教育を受ける、というお話し。夢は小学校を卒業すること。そして、誰でも教育を受ける権利を、と、寄宿舎を建てること。
ゴゴは、目などの身体の問題を抱えながら紙と鉛筆を持って一生懸命勉強についていきます。
先生は実際に、産まれた時ゴゴに取り上げられたあかちゃんだった、というのだから驚きです。イレギュラーな生徒だからといって特別扱いはしません。その姿も印象的でした。
わたしはこの映画を
『学ぶことを渇望するということはどういう事だろう』
と、うれしそうにキラキラした目で先生を見つめるゴゴと子どもたちの姿を見て思っていました。そして見終わった後、
学ぶごとの目的は学ぶことでいい
と、シンプルな答えが腑に落ちました。
学校に来れることがうれしい
お友達や先生に会えることがうれしい
知ることがうれしい
字を書くことがうれしい
教えてくれる人がいてうれしい
紙とペンさえあればあとはOK
すべてにおいて嬉しいという状態が常態なんですね。
ピアノは、「ピアノさえあればOK」と気軽には言えませんが、
ピアノの鍵盤に触れ、押すことがうれしい
知らなかった音楽の知識が知れてうれしい
気持ちを込めたらピアノが答えてくれてうれしい
など、それらの原初的な欲求に答えるべく、先生というのは存在していることを忘れないようにしたいなぁと。
そんな事を思いました。
高い目標を掲げることも大事だけど、
ピアノの鍵盤を押してその振動を感じるためにレッスンにくる
それだけでじゅうぶん本人は満たされるかもしれないんですよね。
それがだんだん小さな目標設定につながっていくように。
映画の中の先生は時に厳しかったけど、子どもたちの「嬉しい気持ち」が常にまさっているんですね。
日本だと学校で勉強できて当たり前、だからなかなか普段いつもそういう気持ちでいる事は難しいですね。月並みですが、「本当の豊かさって何だろう」って考えちゃいます。
心が満たされている
これに尽きるのでしょう。
映画の本核から脱線してしまいましたが、、(この映画は女性が年齢や結婚出産に関わらず、教育を受けられる世の中に、というコンセプトです)
とにかく、誰かに何かを教わるってその事自体が素晴らしい!
だって知らない事を教えてもらえるのですから!
そしてまたその知識なり技術なりを受け渡していく。
目に見えないものの循環て、教育にこそ必要不可欠な気がします^ ^