安心する場所で在りたい

とあるレッスンの日。当時私は6歳か7歳くらいだったでしょうか。

何の曲を弾いていたのかは忘れたのですが、「どういう風に弾きたいのか?」と、先生に問われ、答えられずにいました。

「どういう風に?う〜〜ん。。。」

と心の中で子どもなりに自問自答していたけれど、答えは出ず。

音楽のイメージを言葉にするっていうのに慣れていなかったのと、あと単純に小さかったから答えられなかったのと、何か恥ずかしい、っていうのが混ざってたんですよね

あとは、何かもっと頭の良さそうな事を言わなきゃいけないんじゃないかという謎なプレッシャーがかかってたのかかけてたのか、、よく分かりません、^^;

私は結構傷付いていたと思います。

え、こんな事で??と、思われるかもしれませんが、答えられない私はダメなレッテルが貼られた気がしたんですよね(^_^;)

案の定、母は帰りの電車ですごく怒ってましたし

確かに、何か一言でも言えればよかったんですが、「これを言ったら間違えなんじゃないか」という気持ちがすごく強い子ども時代だったので言えなかったんですよね。。

今思うと当時は子どもなりにかなり厳しいレッスンでした。もっとこども扱いしてほしかったなぁなんて思います。

言葉というのは本来もっとデリケートなもので、その子の内面に応じて表出されなければ音楽の場合は特に意味がないんですね。

ではじゃあ生徒にはそのような質問をしないか、というとそうではありません。

それは、感覚を言葉にするというのは出来て損は絶対にないからです。

例えばレッスンでは、一つの曲の全体を把握させるのに、簡単なストーリーを子どもに作ってもらう、という事もします。

先生はこう思うんだけどどう?

みたいな感じで少し促すと、「あーわかるわかるー」と言ってくれたり、逆に「そうじゃなくてね、◯◯な感じ!」と目を輝かせて伝えてくれたり。すごいかわいいんですよね。

本を読むのが好きな子は、すらすらと情景を巧みに表現し、バレエをやってる子は、見たことのあるバレエのシーンを思い浮かべて目を輝かせながら話したり。

曲をイメージして絵を描いてきてくれた生徒さん

もちろん、私みたいに固まって言えない子もいます。が、もう全然それでOK!無理に言葉と目に見えない音楽をつなぎあわさなくって、その子なりに何かしら感じていればOK!っていうスタンスです。

真逆な事を言うなら、「あ、反抗期かな?」と思ったり。そういうブームね、と。笑

とにかく無理強いはしません。

ですがあえて言葉にするメリットを言うならば、

自分の表現したい事が明確になる

正解が一つではない言葉を受け入れられることによって発言する勇気が生まれる

音楽を展開を見通せて、一つの物語として捉えることにより、表現力が増す

などです。

本当にそれもみんなそれぞれの個性があっての事なので、基本的にはあなたはあなたのままでいいんだよというスタンスで接するようにしています。

否定されるためにレッスンに来る子はいませんので。

おすすめ記事